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マダンの光・2005「新しい天使-月に一番近い丘まで」
日時 5月24日 25日 PM8時開演
場所 光州5・18自由公園 野外劇場(地下鉄尚武駅下車徒歩10分)
作・演出 池内文平、 桜井大造
出演 ばらちづこ 、森美音子 

つくしのりこ 、WAKAME 

ソンビョンス 、桜井大造
リュウセイオー龍 、池内文平
翻訳●具聖牧 金恩愛 舞台■村重勇史 中山幸雄

音楽♦小間慶大 音効●鈴木大介

映写●伊井嗣晴 衣装▲おかめ 

宣伝美術■水野慶子 

照明●池内文平 ♦押切珠喜

記録▲永田修平
■押切マヲ 、なっつ、和田康、小見憲 遠藤弘貴、阿久津陽子 、板橋裕志

 

共働・参画・加担への誘い         マダンの光・2005

私たち「マダンの光」は、この五月に「光州蜂起」25年を期して韓国・光州市でひらかれる「光州アジアン・アート・ステージ(光州マダン)」に参画しよう とする演劇人のあつまりです。主なメンバーは、このクニのテント芝居集団である「野戦の月・海筆子」と「独火星・呼応計画」で活動する者たちで、80年代 に日韓連帯運動の場で隊伍をともにしたテント劇団「風の旅団」の流を汲む者たちです。
私たちは、「光州マダン」の企画者から、この催しへの参加を打診されましたが、結論から先にいうと、それは断りました。というのも、近・現代の日韓(朝) 関係の現実のなかで、私たち日本の表現者が公的資金を使って韓国に出かけてゆくことはとても了解できないことだったからです。折しも本年は日韓条約40周 年にあたる年です。日韓両政府は、「北」との関係を含めて、何かにつけ、これを喧伝し、新しくもない「新時代」を言挙げして、現在もなお続く両国間の未解 決な歴史的諸問題にフタをしようとするに違いありません。私たちはこうした思惑に、これまでそうであったように、今回もまた一線を画したいと思います。
むろん「光州マダン」の企画自体は、そのようなものとは無関係であることはいうまでもありません。ただ私たちとしては、くりかえして言いますが、どのよう な形にしろ、公的資金によって運営されるであろうどんな企画にも積極的には参加できないのです。皮肉な言いかたになりますが、これは帝国主義本国人として の最低の心構えなのです。
とはいっても、「光州マダン」実行委の厚意や、それまで培ってきた企画者たちとの友誼を無にすることもできません。ものごとの始まる一歩手前で足踏みした り手を拱いてばかりもしていられません。そこで私たちは、実行委員会に無理を言って、相互の信頼関係のうえで「非・招待作品」としての参画を提案しまし た。その結論はまだ出ていませんが、いままでに2回の訪韓と日常的な通信のやりとりでそのような方向で話はすすめられています。
「非・招待作品」というのは、本企画期間中に、企画者と協同して、本企画とはまた別の「場」をつくり出すということです。そしてそのふたつならが大きな 「光州マダン」を形成してゆくというものです。具体的な方法についてはいまだ話し合い中ですが、いずれにせよ、私たちは責任の一切を私たち自身がもって、 「光州マダン」に参画してゆこうと思っています。
参加作品は、げんざい作家(池内文平)が執筆中ですが、外題は『新しい天使-月にいちばん近い丘まで』といいます。「新しい天使」とは、むろん、自由を求 めて、ついにピレネー山脈を越え得なかったW・ベンヤミンに由来していますが、「月にいちばん近い丘」とは、いうまでもなく「自由光州」で闘い倒れたひと びとがいまも眠る「望月洞」を含意しています。おそらくそれは、1980年5月の光州ばかりではなく、そこから千キロ離れたこの地と、25年を経た現在を 撃つものとなるでしょう。(約1時間半の中編)…
以上が現在までの私たちが「光州マダン」に参画する基本的なスタンスと進捗ぐあいです。
そこで!これを読むひとびとにお願いがあります。どうか、私たちの「光州マダン」に加担してください。私たちは、芝居づくりはお手のものですが、それでも海峡を越えるとなると多くの問題が山積です。
まずはコトバの問題。芝居は主に日本語でやりますが(韓国の俳優も参加予定)、そのハングル訳をプロジェクターで投影しようと考えています。その翻訳がひ と仕事です。どなたか、両国のコトバに堪能なかたのご協力をお願いします。たぶんチームを組んでの作業となりますが、どうかよろしく。
その他、器材のシステムのちがいや、現地事情など、次々に難問が惹起してくるに相違ありません。これは!と思いつくことがあればお教えください。
未熟な私たちの無謀な行為に、ぜひとも共働・参画・加担してください。実費以外、無償になりますが、うまい酒がのめることだけはうけあいです。

2005年3月
「マダンの光」一同
          (文責・池内文平)

あなたたちはテントを立てて、私たちはマダンにむしろを敷いて・・・

4/9 ハンギョレ新聞記事(日本語訳)より

 

 

公園にテントで公演場をつくって80年光州・原発事故などを呼びおこす「消された人たち」が話をする場

「私たちは場所に意味を与えるのではなく、場所から意味を与えられるのだと考えます。なんでもないような空間にも、そこにだけ積み重なってきた歴史があるじゃないですか。「見えないけど何か知らないものがここにある」と見るってことですね。」

さる6日、光州市518記念公園では青色の大型テントが新たに建った。高さは6メートル、横に20メートル、300 名が座れる巨大なテントの中では、韓国語と日本語がごっちゃに出てくる独特な公演が展開されていた。日本のテント劇団「野戦の月」「独火星」と光州に拠点 をおき活動するマダン劇団シンミョンがともに準備した演劇「野火」だ。

演出家の池内文平(59)によると、公演の一隅、あいていたマダンはそれ自体で演劇を可能にする存在の根拠になっ た。公演の前、強風によりテントを二度にわたり建て直さなくてはならなく、夜の7時から10時まで続いた演劇の本番のときにも花冷えにおそわれた。しかし マダンの中のテントに三々五々あつまった観客70名は、ひざの毛布と横の人の体温を燃料にして3時間のあいだ、俳優とともに泣き笑った。

全4章で構成された演劇は時空間を超越し存在する「歯車のように消耗される人びと」を呼び出す。地下700メートル の炭鉱に閉じ込められたチリの鉱夫、危険を顧みず原子力発電所で仕事をする日本の労働者、1980年光州で活動した「野火夜学」の人びと、一日中立ち仕事 をするキムパプ屋の店員、日帝強制占領期に日本軍に徴収されインドネシアに行き現地独立軍に引っ張っていかれた朝鮮人「梁七星」まで・・・。一度に集まる ことのできないかれらが、テントの中であつまり対話し、ともに踊り歌う。少年「ウリ」はなにも書かれていない地図をもってこの人物たちの記憶にそって旅行 する。日本人俳優は自然な日本語で、シンミョンの団員たちは濃い全羅道の方言でそれぞれ話をするが、言語の壁はない。みなお互いの言葉を理解する。観客の ために日本語のセリフのときに韓国語字幕が出るのみだ。

「野火」の人物たちは、特別な脈絡なく登場し、消えていく。各自記憶を話しながら、長いセリフを吐き出すが、それぞ れの記憶は簡単な言葉で整理されはしない。しかし際限なく脈絡を破壊し意味を解体しながら、到達した最後の場面で恍惚の境地を味わえる。脳性まひの青年は 輝く火の下に白い紙の花びらをあびながら美しい動きを広げる。かれは踊りながら「私がここにいる」と言う。演劇はバラバラに散った記憶の破片を集めたのち に、最終的に「この場、存在」を刻印する。

「野戦の月」と「独火星」は1983年から30年近く日本の東京を中心に活動してきた。「野火」を書き、演出した池内文平と出演俳優桜井大造がともに「風の旅団」という劇団をつくって以来、分かれたりくっついたりを重ねながらいままで命脈を保っている。大衆劇よりも従 軍慰安婦、天皇制などを前面

に扱う作品を作り、日本現地の演劇界ではたびたび論争を起こす。

運営方法も特異だ。俳優・スタッフはみな稼ぎのあてをほかに持っている。新聞社文化部記者出身の池内は出版業界のフ リー編集者だ。ほかの団員も雑誌寄稿、放送局小道具担当など、職業を持っている。かれらは自費を割いて劇を準備し、日本各地、台湾、中国などで招聘公園も した。公演ごとに毎回違う場所にテントを建てる。演劇がおわったらテントは痕跡無く解体される。韓国公演はさる2005年以降はじめて。劇団は韓国の 518民主化運動に対し深い関心を持っている。池内は「おそらく当時の韓国よりも日本のほうがより多い情報がはいってきただろう」と言い「同時代の光州を経験した」と言う。「野火」という題目 も「70年代末光州に「野火」という夜学運動があった事実と80年518抗争直前に光州市の全羅道庁前にたいまつを燈しデモしたことに着眼しこのような名 前をつけた」と言った。ソウル公演は11日12日光化門の市民ヨルリンマダンで開かれる。ソーシャルファンドサイトのトンブルブックで事前で参加申請をす ればいよい。( 朴ボミ記者)

 

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